こんばんは、青木ころろです(‘ω’)
先日の日曜は祖父の命日。
本当はみんなで集まる予定だったのですが、諸事情により私は参加できず…。
私一人で祖母の家に来ました!
とっても喜んでくれる祖母に胸が温かくなりましたが、どこか小さくなったような気がして不安にもなりました。
足が悪い祖母は買い物が億劫だということで、当日は両手いっぱいに保存がきく食料を持参!(*’▽’)
一週間は買い物にいかなくても済むでしょう♪
と、思ったのですが祖母が思っている以上に食が細くなっており、これでは二週間以上もってしまいそう…。
美味しそうにたくさん食べる祖母が好きなので、ちょっと寂しく思いました。
さて、目的の祖父ですが「ひさしぶり!」というよりも「先日ぶり!」って気持ち( *´艸`)
実は会いに来る三日前に夢に祖父が出てきたのです。
いつも通りの優しい笑顔を浮かべている祖父は、懐かしくも日常を思わせ未だにもう会えないのだという気持ちを私に抱かせません。
もう二年も経つのに、まだどこかで会えると思ってしまうのです。
私が尊敬している経営者さんがおっしゃいました。
「一番悲しいのは今じゃない。会えないのだと本当に理解した時、もっとも深い悲しみがやってくる」。
きっと一番高い悲しみの波を私は乗り越えていないのだと思います。
二度目の命日を迎えたのにいまだに私の心は、祖父が生きて居る頃を夢見ています。
祖父に「来たよー」と挨拶した後は、祖母との団らんtime。
とは言ってもぼんやりテレビを見たり、話したりする程度ですが…。
穏やかに過ごす時間は、私にとっての癒しそのものです。
まだ一緒に過ごせるという事実が幸せです。
けれど祖父の他界。
人生で初めて身近な人を失った時。
体験した後、失うことを心底怖いと思いました。
それまでは、まるでロボットのように、愚かにもいつまでも一緒に居られると思っていました。
今そばにいる人々を失う日を思うと、心底怖いと思うのです。
離れることがこんなにも辛く悲しいのに、どうして人は周囲の人をこんなにも愛おしく思うのでしょうか。
感情が無ければ、もっと生きやすいのにと思う反面、感情があるからこそ
こんなにも世界が美しく人を大切に思えるのでしょうね。
自宅に戻れば、感傷的な気持ちを切り離して日々を過ごします。
人を愛する…なんて言葉、普段は照れくさくて口には出来ないけれど、
だからこそ心に隙間ができる時どうしようもなく考えてしまいます。
明日になれば、また日常の忙しさで心が埋まって考えなくなるのでしょう。
だからこそ今はまっすぐに向き合い考えたいとも思うのです。
